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ウエブサイトをご覧にいただきありがとうございました。


 本サイトの中で今までのオジュグ、タデウシュ・アダムの履歴、活動、業績などを紹介いたします。世界中に出回っている無限なる情報の中で客観的にみてどれほど面白いものなのかは全く分かりませんが、一人の個人としては主観的に興味深い、価値のあると思ったものを掲載いたします。

 来日してからかれこれ20年も経ちました。考えてみますと、人生の半分はこの国で過ごしたことになります。日本の方はたまたまこの国、この文化の中に生まれ落ちたのですが、数多くある世界の国のなかから日本を選んだということではないでしょう。異国で生まれた私は日本の何かに魅かれてここにやってきて、私たちを呼び寄せたものは何かを常に探して求めているのです。とはいえ、簡単に見つかるようなものでもなさそうで、何年たってもこれというものを指差しできるようになかなかなりません。しかし、そうならなくても、日本という国、日本人という国民性、日本文化という生活環境は自分に合うと思うようになりました。

 
 


課題としての哲学
 専門家ではない方は哲学ということばを耳にすると、まず訳の分からない学問で、あまり興味が湧かないのが普通でしょう。しかし、学問としての哲学でも個人にとって決して恐れるべき存在ではないのです。できるだけ多くの方々に哲学の良さ、哲学の重要性をご理解いただき、時間つぶしでもいいので、自らについて、世界について、平和について少しでも疑問をもって考えていただければいいかと思います。私たちは当たり前と思っていることはよく考えてみると何の根拠もなかったり、全く信じ込んでいただけなどのものだと分かります。すべてを疑うというよりも、なぜ何かを信じている、なぜ本当のこととして認めているということから入って、身近な課題から考えればいいと思います。

自分を知るところから
 研究対象としての自分は最も適切なものでしょう。しかし、その自分は毎日付き合わないといけないものにも係わらず案外なにものなのか私たち自身であまりよくわからないのです。毎日体験している意識とはなにか?「私」と言った時、そのことばは何を指すのかよくわからないでしょう。分からなくても日常生活のなかで特に不都合があるということでもなければ、損することでもないかも知れませんが、そのままでと非常に勿体無いような気がします。折角持っている能力をそのまま無駄にしてしまうことになるでしょう。その能力使えば、より良い、より充実した人生をおくれるのではないかと思います。

自分を発展させる手段としての哲学
 人間は家庭環境や学校教育を通して社会の中で知らず知らず形成されてしまいます。その形成行程の大部分は本人の意思と関係なく行われます。ほとんどの場合、意識的に自己形成できるような段階に来ますと、その必要性またはその魅力を感じなくなり、現状にある程度なれて、満足してしまします。しかし、それでよいのでしょうか?自分で自分を作ると言っても簡単なものではないのです。それなりの覚悟、努力はもちろん、それに手段や方法のノウハウが必要となります。

 
     
 
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